2019rip

2019年にこの世を去った名レスラーまとめ


2019年に惜しくもこの世を去って旅立たれた名レスラーの方がを哀悼の意を込めてまとめさせて頂きます。

アレックス・スミルノフ選手(1947年生)

キャリア全盛期はロシア系ギミックの悪役レスラーとして活躍、日本では「流血怪人」の異名で知られてました。全日本プロレスと新日本プロレスの両マットに参戦し、ジャイアント馬場選手やアントニオ猪木選手とも対決をしていた。2019/1/5死去。

レス・ソントン選手(1934年生)

1974年2月には新日本プロレスに初参加。アンドレ・ザ・ジャイアント、エリック・ジ・アニマル、ジョニー・ロンドスなどが同時参加したシリーズにおいて、時折メインイベントにも出場。1981年には、WWFジュニアヘビー級王者である藤波辰巳との「NWA対WWF」のチャンピオン対決が注目され、東京と大阪で藤波の王座に連続挑戦。2019/2/1死去。

サルヴァトーレ・ベロモ選手(1951年生)

1982年MSGタッグリーグ戦では、マサ斎藤選手、長州力選手らと対決している。2019/2/9死去。

北尾 光司選手(1963年生)

大相撲横綱時代(第60代横綱)の四股名は双羽黒 光司。

大相撲での電撃廃業から約2年後にプロレスデビューを発表。新日本プロレスの東京ドーム大会で、クラッシャー・バンバン・ビガロ相手に華々しくデビュー。その後、新日本プロレスからSWSに移籍し、「八百長発言」など数々のトラブルを引き起こし、プロレス界から格闘技界へ移行していきました。2019/2/10死去。

ペドロ・モラレス選手(1942年生)

主にWWWFおよびWWFで活躍していた。ニックネームは「ラテンの魔豹」。ジャイアント馬場に、ドロップキックを教え32文ロケット砲が誕生したというエピソードでも有名。2019/2/12死去。

キングコング・バンディ選手(1957年生)

1985年1月、新日本プロレスの『新春黄金シリーズ』に“まだ見ぬ強豪”として初来日。シリーズ序盤戦では圧倒的な強さを見せ、タッグマッチながらアントニオ猪木から当時としては非常にレア(約2年ぶり)なフォール勝ちを収めている。2019/3/4死去。

ザ・デストロイヤー選手(1930年生)

1963年5月、日本プロレスに初来日して力道山と対戦、足4の字固めをめぐる壮絶な攻防は全国に一大センセーションを巻き起こした。日本では「白覆面の魔王」の異名を持つ。力道山の死後も、豊登とWWA世界ヘビー級王座を巡る激闘を繰り広げ、さらにジャイアント馬場を新たなライバルとして日本プロレスの人気外国人レスラーの地位を確保。誰もが知っている外国人マスクマンでした。2019/3/7死去。

ロジャー・カービー選手(1939年生)

1980年8月、ザ・デストロイヤーと同じデザインのマスクを被り、ザ・クルーザーなる覆面レスラーに変身して全日本プロレスに再来日。デストロイヤーのパートナーとしても戦った。2019/3/18死去。

ビッグ・ジョン・クイン選手(1941年生)

日本では国際プロレスに外国人エースとして度々参戦。1975年6月30日にギル・ヘイズと組んでグレート草津&マイティ井上のIWA世界タッグ王座に、シリーズ最終戦の7月28日には大田区体育館にてラッシャー木村のIWA世界ヘビー級王座にそれぞれ挑戦など。2019/4/22死去。

ワイルド・セブン選手(不明)

大仁田厚に憧れ単身メキシコに渡り、1982年ティファナでデビュー。パイオニア戦志、FMWの旗揚げに関わるがプロレス界から姿を消す。その後、2014年に突如復帰を果たし、バリアフリープロレス「HERO」に所属していた。2019/5/5死去。

シルバー・キング選手(1968年生)

日本では3代目ブラックタイガーとして新日本プロレス等で活躍。父は殺人医師の異名で知られるドクトル・ワグナー。兄はドクトル・ワグナー・ジュニア。元妻は女子プロレスラーのソチ浜田。息子はシルバー・キング・ジュニア。2019/5/11死去。

アシュリー・マッサーロ選手(1979年生)

WWEのRAWに所属していた女性レスラー。2007年には雑誌『PLAYBOY』の表紙を飾るほどの美人レスラー。娘の発病のため遠征活動が困難となり、自らWWEに退団を申し入れ、2008年に退団。2019/5/16死去。

レネ・グレイ選手(1932年生)

第2代WWWF世界タッグ王者で当時のパートナーはカール・ゴッチであった。国際プロレスや新日本プロレスにも参戦していた。2019/5/22死去。

青木 篤志選手(1977年生)

ノアでデビュー後、全日本プロレスに移籍。全日本プロレスのジュニアヘビー級を牽引する存在として活躍。2019年5月20日、後楽園ホールで、岩本を破り、世界ジュニアヘビー級51代目王者となるも、2019年6月3日にバイクの事故で急死。同月18日に佐藤光留との世界ジュニアヘビー級初防衛戦を控えていた矢先であった。

ペロ・アグアヨ選手(1946年生)

1979年2月に新日本プロレスへ初来日後、新日本プロレスの常連外国人選手として活躍し、1981年3月にはWWFライトヘビー級王座決定リーグ戦の決勝で浜田を破り、同王座の初代チャンピオンとなった。2019/7/3死去。

パコ・アロンソ氏(1952年生)

メキシコ最大のプロレス団体CMLLの社長。死去によって社長は娘のソフィア・アロンソ氏に引き継がれた。

ハーリー・レイス選手(1943年生)

通算8回(実質7回)に渡ってNWA世界ヘビー級王座を獲得した実績から「ミスター・プロレス」とも呼ばれた。初来日は、1968年2月の日本プロレス。大阪府立体育館においてアメリカでの宿敵ブルーザーと組み、ジャイアント馬場&アントニオ猪木のBI砲が保持していたインターナショナル・タッグ王座に挑戦した。2019/8/1死去。

エドワード・レオン・バクスター選手(1938年生)

1970年にはホーマー・オーデル大佐のマネージメントでミズーリ州スプリングフィールドでドリー・ファンク・ジュニアに挑戦し、陰謀がらみとは言え幻の世界王者になったこともある。

ドクトル・カルロンテ選手(不明)

メキシコのマスクマン。息子もアルゴスというリングネームでプロレスラーをしている。

ビッグ・タイトン選手(1970年生)

1991年7月、初来日を果たしてFMWに参戦。1992年1月15日、FMW世界ブラスナックル王座を保持する大仁田厚に挑戦して勝利し、ベルトを奪取した。WARにも上がっていた。その後、WWFと契約。WWF退団後は、新日本プロレスにも上がっていた。2019/9/20死去。

ムーンドッグ・レックス選手(1950年生)

1980年代よりWWFをはじめ各地の団体で活躍したタッグチーム “ザ・ムーンドッグス” のオリジナル・メンバー。新日本プロレスには本名で初来日している(表記は「ランディ・コーレイ」)。2019/12/14死去。

ミステル・ニエブラ選手(1973年生)

90年代はCMLLのタッグやトリオの王座を奪取。主にテクニコとして活躍。1996年にはIWA・JAPANに来日。2015年1月18日に後楽園ホールで催された新日本プロレス主催の「ファンタスティカマニア」に無断欠場。ホテルで泥酔状態になっているのが発見され、そのまま入院したこともある。2019/12/23死去。