日本人レスラーとして3人目の快挙達成
2020年3月16日、獣神サンダー・ライガーさんがWWEの殿堂入りを果たしたと報じられました。
日本人レスラーとしては、アントニオ猪木さん(2010年殿堂入り)、藤波辰爾さん(2015年殿堂入り)に続く3人目となる快挙です。
なぜ、ジャイアント馬場はWWEの殿堂に選ばれていのか
アントニオ猪木さん、藤波辰爾さん、そして獣神サンダー・ライガーさん。
受賞メンバーはどれも立派な功績を残しており選ばれて当然と思っているプロレスファンは多いと思います。
しかし、「あれ、世界の大巨人、ジャイアント馬場さんは?」
と思うプロレスファンも多いかもしれません。今回はその理由について解説したいと思います。
レガシー部門含めて新日本プロレス関係者が多いわけ
WWE殿堂と言われる「ホール・オブ・フェイム」にはレガシー部門というものも存在します。
「ホール・オブ・フェイム」受賞日本人レスラー
・アントニオ猪木
・藤波辰爾
・獣神サンダー・ライガー
「ホール・オブ・フェイム」レガシー部門受賞者
・力道山
・ヒロ・マツダ
・新間寿
レガシー部門を含めても、力道山さんを除くと、ヒロ・マツダさんも晩年は新日本プロレスに上がることが多かったことも考えると、ほぼ全員が新日本プロレス関係者となります。
WWE殿堂が全日本プロレス関係者には送られずに新日本プロレス関係者ばかりに送られるのには歴史的な背景があります。
新日本プロレスとWWEの歴史的なつながり
今や世界一位のWWEと世界二位の新日本プロレスはバチバチのライバル関係というイメージが強い方も多いと思いますが、かつては同盟関係と言えるほど蜜月な関係でした。そこには新日本プロレスが旗揚げした当時である1970年代のマット界の事情がありました。

1970年代のマット界の中心はアメリカのNWAでした。団体というより組合に近い存在であり、アメリカの各地域にあるローカル団体を束ねているような存在です。
NWAは、日本プロレス時代から親交があったジャイアント馬場さんとの距離が近かったということもあり、日本の団体として最初に加盟したのは全日本プロレスでした。
新日本プロレスはその後限定的な条件付きで加入を果たしますが、世界の中心であるNWAの加盟において全日本プロレスに遅れを取ったのは当時としては致命的な影響がありました。(呼べる外国人選手のグレードの差が歴然と出てしまう等)
そこで、新日本プロレスは1960年代にすでにNWAを脱退していたWWWF(現在のWWE)と提携をすることで外国人選手の品質を保とうとしました。
そのような背景から新日本プロレスの新間寿さんとWWWFのビンス・マクマホン・シニア氏は提携を実施し、アントニオ猪木vsハルク・ホーガンの実現に至る、蜜月な関係となりました。

つまり、WWE殿堂も敵であった全日本プロレス選手には送られづらい。「WWEの殿堂」≠「プロレス史の殿堂」
その後、WWF(現在のWWE)はビンス・マクマホン・ジュニア氏の時代となり新日本プロレスとも距離を置き、米国統一に乗り出し、現在の独占に近い状態へと成長していきます。
とはいえ、歴史や過去の好意には経緯を払うという姿勢から新日本プロレスの関係者がWWE殿堂入りを果たしていると言えます。
一方で、あくまで「WWEの殿堂」であって「プロレス史の殿堂」ではないため、長年敵対関係にあった全日本プロレスの関係者。特に日本での進出に際して大きな障害となったジャイアント馬場さんが殿堂入りを果たすのは難しいのかもしれません。
WWEと全日本プロレスが提携したら、ジャイアント馬場の殿堂入りはあるかも・・・
ただ、前回ご紹介したように2020年3月現在WWEが全日本プロレスと提携する噂があり、もしその提携が実現をしたら、過去に遡り全日本プロレスの選手も殿堂入りを果たす可能性もあります。
その際には、一番最初に殿堂入りを果たすのはジャイアント馬場さんである可能性は高いと思います。
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